戦国時代の武将・明智光秀に付けられたあだ名「きんかん頭」。なぜこんなあだ名なのか、そして本能寺の変の原因にもなったのか、詳しく知っている方は少ないかもしれません。
今回は、明智光秀のあだ名について、史実に基づいた情報をわかりやすく解説します。
- 明智光秀のあだ名とは?
- 「きんかん頭」の意味とは?
- 本能寺の変の動機になった?
- 明智光秀のあだ名一覧
明智光秀のあだ名とは?

明智光秀の最も有名なあだ名は「きんかん頭」です。光秀のあだ名について記録されているのは、16世紀末頃に書かれた『義山後覚』や『続武者物語』などの史料です。
文献には、庚申待(徹夜で神を祀る行事)の酒宴で信長が光秀を「きんかん頭」と呼んだエピソードが詳しく記されています。
名付け親は、織田信長とされています。信長は光秀だけでなく、多くの家臣にあだ名をつける習慣がありました。
豊臣秀吉には「禿げネズミ」、平野甚右衛門には「ちょっぽり甚右衛門」など、見た目や特徴を元にした呼び名を好んで使っていたようです。
ただし、史料の記録が事実かどうかは議論が分かれています。江戸時代に成立した軍記物語に基づく内容も多く、後世の脚色が含まれている可能性も指摘されているためです。
「きんかん頭」とはどういう意味?

「きんかん頭」の正確な表記は「きんか頭」であり、禿げ頭を指す言葉として使われていました。あだ名の由来には、面白い説がいくつかあります。
見た目説
最も有名なのは、光秀の頭が柑橘類の金柑のように丸くて光っていたからという説です。当時、「きんか」は光るものを表す言葉としても使われ、つるつるした禿げ頭を表していました。
江戸時代初期の『世話尽』という作品には、「きんか頭の蠅すべり」という表現があります。意味は、禿げ頭があまりにもつるつるしているため、蠅でさえすべってしまうことです。
言葉遊び説
もう一つの説は、光秀の名前を使った言葉遊びです。「光」の下部分と「秀」の上部分を組み合わせると、「禿」という漢字になることから、信長がシャレとしてつけたというものです。
言葉遊び説が正しければ、信長は単純に見た目をからかっていたわけではありません。むしろ、教養のある言葉遊びとして、「きんか頭」を考案していたことになります。
本能寺の変のきっかけになった?

光秀のあだ名「きんかん頭」が本能寺の変の動機だったという説もありますが、反論する歴史研究者は多いです。
賛成派の意見
史料によると、庚申待の酒宴で光秀が席を外した際、信長が激怒したとされています。「いかにきんかん頭、なぜ中座したか」とののしり、槍を持って光秀を追いかけ回したようです。
別の記録では、信長が光秀の頭を叩いたり、酒を飲まない光秀に無理やり飲酒を強要したりしたとも伝えられています。
屈辱的な扱いが積み重なって、光秀の恨みとなったという解釈が、「本能寺の変の動機説」賛成派の意見です。
反対派の意見
『明智光秀のすべて』の著者宮本義己氏は、「本能寺の変の動機説」について、「後まで光秀が根にもち、謀叛の動機としたとはとても信じがたい」と述べています。
あだ名程度のことで主君を裏切るほどの恨みを抱くとは、現実的に考えにくいためです。本能寺の変には、政治的に複雑な背景があったとされ、個人的な感情だけでは説明できない部分が多くあります。
天下統一を目前にした信長への恐怖や、自身の立場への不安など、より深刻な要因があったと推測できるわけです。
明智光秀のあだ名一覧

明智光秀には「きんかん頭」以外にも、さまざまな呼び名がありました。あだ名や呼び名から、光秀の人物像や当時の評価を知ることができます。
あだ名 | あだ名の由来 | つけた人 |
きんかん頭(きんか頭) | 禿げ頭が金柑のように光っていた、または「光」「秀」の漢字を組み合わせると「禿」になるため | 織田信長 |
十兵衛 | 通称名 | 一般的な呼び名 |
惟任日向守 | 朝廷から与えられた官位 | 朝廷 |
丹波の領主 | 丹波国を統治していたため | 地域住民 |
坂本城主 | 坂本城の城主だったため | 一般 |
丹波の仁政者 | 善政を行ったため | 丹波地方の住民 |
三日天下の主 | 本能寺の変後、短期間で滅亡したため | 江戸時代以降の後世の人 |
謀反人光秀 | 主君信長を裏切ったため | 江戸時代以降の後世の人 |
智将 | 知略に優れていたため | 現代の文学作品 |
悲運の武将 | 最期が悲劇的だったため | 現代の文学作品 |
【まとめ】明智光秀のあだ名

明智光秀のあだ名「きんかん頭」は、単なる見た目からつけたわけではなく、織田信長による漢字遊びの可能性もあります。
本能寺の変の動機としては疑問視されているものの、戦国時代の主従関係や武士社会の実情を知る手がかりとして、貴重な史料です。
光秀のあだ名を通じて、教科書では学べない戦国時代の人間味あふれる一面を感じられたのではないでしょうか。