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豊臣秀吉の本当のあだ名は猿?禿ネズミ?織田信長がつけた意図・由来とは?

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なまえねむ

ゲームキャラに変な名前をつけたり、人にあだ名をつけて一人で楽しむのが趣味の変態

豊臣秀吉のあだ名として「猿」は有名ですが、実は織田信長が本当に使っていたのは「禿ネズミ」だった、という事実を知っていますか?

今回は、信長が秀吉の妻に送った手紙の秘密から、民衆が作った皮肉の落書きまで、秀吉のあだ名に隠された歴史の真実を探っていきます。

  • 豊臣秀吉のあだ名は猿?
  • あだ名が猿になった由来
  • 豊臣秀吉のあだ名は禿ネズミ?
  • あだ名が禿ネズミになった由来
  • 豊臣秀吉のあだ名(異名)一覧

豊臣秀吉のあだ名は猿?

豊臣秀吉のあだ名は猿?

豊臣秀吉の最も有名なあだ名は「猿」です。

歴史書『太閤記』や『太閤素生記』などの軍記物において、秀吉のことを「猿」と表記しています。書物は江戸時代に書かれたものなので、この時期から「秀吉=猿」のイメージが定着しました。

朝鮮からの使者の記録にも、秀吉を見て「猿のような姿だった」と書かれています。また、宣教師ルイス・フロイスは「秀吉の目は飛び出しており、醜い容姿をしていた」と記録しています。

京都の聚楽第には、「まつせとは べちにはあらじ 木の下の さる関白を 見るにつけても」という落書きがありました。

意味は「木下(秀吉の旧姓)の猿が関白になっている」ということで、民衆の間でも猿というイメージが浸透していたことがわかります。

現代の歴史ドラマや小説でも、信長が秀吉を「サル」と呼ぶ場面がよくあるため、猿というあだ名がより有名になったのです。

あだ名が猿になった由来

あだ名が猿になった由来

豊臣秀吉が「猿」と呼ばれるようになった大きな理由は、秀吉の外見にあります。秀吉は身長が低く、細身で顔が小さく、目がぎょろっとしていました。

戦国時代の肖像画を見ると、秀吉の顔は確かに細長く、猿に似ているような印象を受けます。特に、鼻先の形や口元の様子が猿を連想しやすいです。

ただ外見だけでなく、秀吉の行動も「猿」というあだ名に影響しています。秀吉はとても頭の回転が速く、信長の指示をすぐに理解して行動できていました。

その俊敏さが、猿っぽい動きとして印象に残ったと考えられています。

また、秀吉の賢さも猿のイメージと重なっていました。農民出身でありながら、持ち前の機転と頭の良さで出世街道を駆け上がった姿は、まさに知恵のある猿です。

織田信長は観察力が鋭く、部下の特徴を的確に捉える能力に長けていました。秀吉の外見と行動の両方を見て、「猿」というあだ名がぴったりだと思ったわけです。

豊臣秀吉のあだ名は禿ネズミ?

豊臣秀吉のあだ名は禿ネズミ?

秀吉には「猿」以外にも「禿ネズミ」というあだ名がありました。歴史的な文書にもしっかり記録されているあだ名です。

織田信長が秀吉の妻「ねね」に宛てた手紙の中に、「禿ネズミ」という言葉が登場します。ねねが秀吉の浮気に悩んで信長に相談した際、信長は返事の手紙で秀吉を「禿ネズミ」と呼んだのです。

手紙の内容は「秀吉があなたに対して不満を言っているようだが、言語道断だ。あの禿ネズミが、あなたほどすばらしい女性をほかで見つけられるはずがない」というものでした。

信長はねねを擁護し、秀吉を厳しく批判しています。

さらに面白いのは、信長がねねへ送った手紙を「秀吉にも見せてやりなさい」と指示していることです。つまり、秀吉本人も「禿ネズミ」というあだ名を直接目にしたわけです。

史料では「猿」よりも「禿ネズミ」の方が、信長が実際に使っていたあだ名である可能性を示しています。今では「猿」の方が有名ですが、歴史の真実は少し違うのかもしれません。

あだ名が禿ネズミになった由来

あだ名が禿ネズミになった由来

「禿ネズミ」というあだ名は、秀吉の見た目をそのまま表したものです。

まず「禿」の部分は、秀吉が若い頃から髪が薄かったことに由来します。戦国時代の武将としては珍しく、秀吉は20代の頃からすでに薄毛でした。

当時の記録にも、秀吉の頭髪の薄さについて触れられている部分があります。頭の特徴がそのまま「禿」という表現につながったわけです。

「ネズミ」の部分については、秀吉の顔立ちと行動の両方が関係しています。秀吉の鼻先や口元の形がネズミに似ていて、小柄な体型もネズミの印象を強めた可能性が高いです。

さらに、秀吉のすばしっこい動きもネズミを連想させました。信長の指示を受けると、素早く動き回って任務を遂行する姿は、まさにネズミのような俊敏さです。

信長らしい鋭い観察眼から生まれた「禿ネズミ」というあだ名ですが、必ずしも悪意から生まれたものではありません。

戦国時代では、主君が家臣にあだ名を付けることは珍しくありませんでした。むしろ、親しみや愛情を込めた表現として使われることが多かったのです。

豊臣秀吉のあだ名(異名)一覧

豊臣秀吉のあだ名(異名)一覧

豊臣秀吉には、織田信長をはじめとする周りの人から付けられたあだ名が複数ありました。どれも秀吉の外見や性格、行動の特徴を表したものです。

以下の表で、秀吉の主なあだ名とその由来を詳しく見ていきましょう。

あだ名呼んだ人由来根拠となる史料
織田信長顔立ちが猿に似ていた・すばしっこい動きをしていた・頭の回転が速かった『太閤記』『太閤素生記』・朝鮮使者の記録・聚楽第の落書き
禿ネズミ(はげねずみ)織田信長若い頃から髪が薄かった・ネズミのような顔立ち・素早い行動力信長がねねに送った手紙・(確実な史料として現存)
六ツめ織田信長(推定)右手の指が6本あった・生まれつきの身体的特徴前田利家の回想録『国祖遺言』
木の下のサル一般民衆旧姓が木下藤吉郎・猿のあだ名との組み合わせ聚楽第の落書き・「まつせとは べちにはあらじ 木の下の さる関白を 見るにつけても」
太閤(たいこう)朝廷・一般民衆関白を退いた後の尊称・秀吉の代名詞として定着公式文書・軍記物・『太閤記』などの書物タイトル
筑前守(ちくぜんのかみ)公式の官職名筑前国(現在の福岡県)の守護・信長から与えられた官職公式文書・朱印状
藤吉郎(とうきちろう)織田家中木下藤吉郎時代の通称・出世前の名前として使用各種史料・軍記物
日輪の子秀吉自身・側近太陽神の化身を自称・神格化政策の一環朝鮮出兵時の文書・『朝鮮王朝実録』

【まとめ】豊臣秀吉のあだ名

【まとめ】豊臣秀吉のあだ名

豊臣秀吉のあだ名を調べてみると、ただの悪口ではなく、戦国時代の複雑な人間関係が見えてきました。

現代で最も有名な「猿」よりも、信長が実際に使っていたあだ名は「禿ネズミ」の方が、史料を確認すると事実に近いことは、非常に面白いです。

また、「太閤」のような尊称から「日輪の子」という自称まで、秀吉の人生の変遷がそのままあだ名として表れています。

複数のあだ名は見た目の特徴だけでなく、秀吉の性格や時代背景までも物語る貴重な歴史の証言といえます。

あだ名一つひとつに込められた意味を知ることで、教科書では学べない秀吉像に触れることができるのです。

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